こんにちは、にゃんまゆげです。
昨日はいつも通っている、メンタルクリニックの診察日でした。
初診日から3年が経ち、4年目に入ったところです。
ずっと”持続性気分変調障害”の治療をしてきました。
きのうは、とうとう、いやようやく、ASD(自閉スペクトラム症)と診断してもらえました。
今回の記事では、その経緯についてお話しします。
現在”うつ”や”気分障害”、”適応障害”で治療していて
何年もかかっているが困りごとがなくならない、という方は参考になるかもしれません。
あくまでも、あなたが通っている病院の医師の診断を信頼した上で
ふ〜ん、そんなこともあるのね、という感じで読んでいただけたらと思います。
メンタルクリニック(精神科)を受診したきっかけ
結婚生活2年ほど経ったころ、夫と喧嘩することが増えて、お姑さんともうまくいかず、
夫の友人・仕事関係の人や、自分の友人ともうまくいかないことが増えました。
主に、わたしのイライラや怒りがしょっちゅう爆発することで問題になりました。
当時のわたしは、30で結婚し(31で結婚できた)、子供も産んで(子供はできなかった)、絶対に離婚せずに(その後離婚する)、幸せな人生を送る!としか考えていませんでした。
なんとか、「良い妻」になりたくてすがる思いで先生を探し、少し遠いけど今の病院に通い始めたのです。
持続性気分障害、”うつ状態”の治療をする
はじめにいろいろな検査やテストをしました。
あまり記憶はありませんが、”絵具が滲んだようなもの”のカードを見て、何に見えるか。
というもので、”小さな黒い蛾”のようなものを指し、「これは本当の自分です」と言ったことを覚えています。
そして”賑やかで華やかな色彩のもの”を指し、「これはわたしが表現してきた外側です」という感じだったかな…
今思えばちょっと寂しい例えですよね。笑
とにかく困っている 「抑えきれないイライラや怒りと、身体がしんどい」 の治療、”うつ”の薬物治療を始めました。
臨床心理士による半年間のカウンセリング
家が遠かったのとお金の問題もあったので、週1回50分でしていただくことになりました。
カウンセラーは「臨床心理士」です。若いけどしっかりしていて、穏やかで優しい、かわいいぬいぐるみのような女性で、とても好感が持てる方でした。
そんな優しい女性に、わたしは毎回話すことがあり過ぎてマシンガンのように話し続けていました。
「産まれてから覚えている限りのことを順に、現在までを話す」という方法でしたが
信じられない細かいことも覚えていて、ほとんどはつらかったことです。
カウンセリングは、”当人が困っていることが自分の中にある”という認識を持った人でないと否定的な気持ちでは効果が難しいと思います。
カウンセラーは、ただ、話を聞いてくれて、必要な時だけ促してくれたり、肯定的に受け止めてくれます。
そうすることで、「頭の中のバラバラな思考が整理されて、自己理解が深まっていく」というのがわたしの印象です。
精神科に加え、心療内科の受診をはじめる
わたしはずっと以前から謎の体の痛みで悩んでいます。
もう10年以上前から、背中の慢性痛と、肩甲骨周辺のコリ、微熱、足裏のちくちく痛痒い火照り、偏頭痛など、そこらじゅう痛かったです。
鍼灸院で極太の鍼をする、整骨院でレントゲンを撮る、婦人科で漢方をもらう、甲状腺専門病院で検査する、内科では検査する箇所がないと言われ、精神科を勧められました。
そこで最近、いつも通っている病院に、内科の専門医がいらして「心療内科」も増えたのですが、「痛みに関して診てもらう?」という主治医のすすめで受診しました。
これがわたしの痛みの転機になります。
他の心療内科や心のクリニックに行ったことがありますが、比べ物にならない全く違う先生なのです。
線維筋痛(自分ではコントロールできない神経からくる痛み)
筋肉弛緩(無意識に癖になっている緊張型の痛みを緩める)
自律神経を整える
これらのお薬を処方してくれました。
慢性的な痛みが、癖になってしまっていて、「体を休めていても痛みが起こり続ける」かんじになっていたようです。
レディガガさんの「線維筋痛症」の軽いバージョンになっていました。
しばらくして薬が効き始め、わたしは久しぶりに痛みから解放されたのです。(先生、ありがとう)
心療内科の先生がわたしの心を開いてくれたこと
痛みから解放されたら、いろいろ思考できるようになりました。
まずMacbookを買ったことは大正解です。(わたしの以前のPCは2008年製Macでした。笑)
新しい先生は、たぶん精神科の先生の奥様なんですが、優しくて大好きです。
「一番優先させたいことを紙に書いてみたら」
と言われたのがきっかけで、メモアプリの”ATOKPad”に、浮かんでくる思考をどんどん、だーーーっと書き連ねていきました。
毎日、浮かんでくる思考をただただ書き連ねます。
「書く」ってとても有効なのです。「書くこと」で不思議なほど思考の展開が起こります。
そうすると、今度はまた幼少期から振り返ってみたのです。
3年前のカウンセリングで話したことはほとんどでてこなくて、新しい記憶がでてきました。
仕事で起こったことも改めて振り返ってみたら、全く違う問題が浮かんできました。
そうして、「発達障害」にたどり着くことができたのです。
次の診察までに、4−5冊ほど関連の本を読みました。
そして昨日のことです。
診察室に入って挨拶をして、先生の顔をみたら
今まで外では出していなかった、「子供のようなわたし」で話していました。
ありのままで、素直なままで、伝えたいことを丁寧に整理しながら話しました。
いつも両手は膝の上ですが、昨日は木の机の上に、両手で四角い箱の形をつくっていました。
「はい」→「うん」(頭も深く頷く)になり、「わたし、そういう感じで振り返ってみて、自分は発達障害だと思うのです」
すると先生は一番初めのデータを見て「ASDの疑いあり」とありますね。
「よくここまで、自分を分析できましたね。」と優しく褒めてくれました。
なんだかあったかい柔らかいものに包まれたような感じですごく体が軽くなりました。
ASDと診断してもらうときがきた
次に精神科を受診して、先生に同じように(とても短くですが)伝えました。
すると、「初めのテストでASDの傾向が見られたけど、IQが高い場合は補えてしまうから、言い切れないんだよ」
と言われました。「なんだ、3年前にわかってたことなのか。まだ結婚していた時期だし、
元夫は非協力的だったし、先生はタイミングを診てくれていたんだな」とおもいました。
いま、ここにきて、転職しても不適応を起こしてしまって、日常も仕事も困りごとだらけです。
自分は何者なのかさえわかりません。なので今「ASD」と診断してもらえてよかったという気持ちしかありません。
発達障害は脳が一般的な人とすこし違う仕組みになっています。良いとか悪いという問題ではなくて、仕組みが少し違うのです。
わたしはASDですが旧称のアスペルガーのほうがしっくりきます。
昔から他人の目を全く気にしないので、不思議がられていましたから…
考え方も感覚も”ちょっと変わってる”と思われていたようです。
それがわたしなので、ブログでもSNSでも、素直に表現していきます。
ASD(アスペルガー)としての第3の人生!
わたしは今37才です。
20代の6年間は、感性と創造を仕事にできて成果も出せた人生最高の充実でした。
そこから真っ逆さまに転落し、暗黒の時代が長く続きました。
いま、ここからは、新しい第3の人生です。
なんだかおもしろいです。
こんなことがあるなんて夢にも思いませんでした。
生きてたら、必ず道は拓けます。
いまの感覚は、自分の年齢に違和感しか感じないし、どんどんベンジャミンバトンのように子供に戻っています。(中身だけね。笑)
子供のころから自分の部屋が欲しくて父を恨んでいましたが、いま1人でいられるのがとても快適です。
大好きな、犬と猫に、子供の頃「親にかけてもらいたかった言葉」をかけて愛しています。
信じられないほど懐いてくれています。笑
楽しい曲が流れ出すと、トキちゃんと踊ってしまいます。
それから毎日、やらかしています。今朝もコーヒーがカップから溢れました。
子供の頃からぬいぐるみが大好きなんですが
これからはもっと自由に好きを表現していきたいし、絵本も集めたいです。
お金の管理がとても苦手なので、クリエイターで成功したらマネージャーさんについてもらいたいです。
新たな人生の夢はクリエイターです。どうか叶いますように♡
今まで幼い頃から、障害の部分を知恵でなんとかしてきて
経験しないとわからない、失敗だらけの人生でしたが…「よくやってきたね、じぶん」と言ってあげたいです。
37才でASD(アスペルガー)とわかって、今度は障害があっても成功できるというのをやってみたいです。
そしていつか、本を出して、絵本を出して♡ やってみたいです。
夫というよりも、父か兄のように思う人と一緒にいたいです。(欧米の包み込むような愛情深いダディのハグに憧れます)
大きな熊か、大きなライオン、大きな山犬(モロのような)、ベイマックスかトトロみたいなのと一緒にいたい
「もののけ姫」のサンになりたい
わたしが生きたい世界は、この世とはかけ離れています。
わたしを含めた人間は醜くて汚くて臭い=異物なので、外に出るのがつらいのです。
でもいまのところこの世で生きていくしかないから、わたしなりに精一杯に清く生きたいと思います。
この記事がだれかに寄り添えますように願って。
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