機能不全家族とアダルト•チルドレン【子どもの儚い心では認識できなかったこと】

アダルトチルドレン
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こんにちは、にゃんまゆげです。

私の家族は、みんなちょっとずつ変で、イビツな家族です。

後にわかったのは

「機能不全家族」だったということ

生きづらさを感じる子どもが増えないように

親になる前に、「わたしたちはいま、子どもを育てる余裕はあるか」

じっくり考えてみて欲しいと思います。

この記事を読んでくださっている方は

おそらく「子ども」側の人が多いのではないでしょうか。

機能不全家族をつくっている当事者

自分で気づくのは不可能に近い

自分たちが子どもを「虐待」している意識は全くないのですから。

どうすれば当事者の親に読んでもらえるか、難しいことはわかりませんが

”その「子ども」だった”私の考えを書いてみます。

この記事ではこちらの書籍を参考に思考したことを書いています。
著者とこの本に感謝します。

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家族が子どもを傷つけるとき

もしもあなたが、いま、生きづらさを感じていたり、人との関係がいつもうまくいかないという問題を抱えていたとしたら、あなたがどんな家族で育ってきたのか一度振り返ってみてください。
あなたのお母さん、お父さんは、喜びや怒りなどの様々な感情を、家族のなかでどう表現する人だったでしょうか。
子どもであるあなたとどんな関係をつくっていたでしょうか。
引用:アダルト・チルドレンと癒し 【著】西尾和美

 

子どもの頃に経験した家族関係は

大人になってもその人の

人の関わり方に大きな影響を及ぼすものです。

子どもの心に深い傷を与え

アダルト・チルドレンを生み出してしまうような家族を

「機能不全家族」と呼びます。

機能不全家族とは

安全が守られず

適切な保護が与えられず

一人ひとりの人格が尊重されない家族です。

性的虐待、身体的虐待があるのは言うまでもなく「機能不全家族」です

精神的な虐待、言葉での虐待において

どこから虐待になるのかは

子ども本人深く傷ついているか、認知の歪みに繋がったか、なのでしょうか。

子どもにとっては、親は絶対的存在

どんな子供でも親に愛されたいと願って生きている

そんな小さく儚い子どもの心は

よほどのことでないと「虐待」という認識はしないだろうと思います。

大人になって、生きづらさを感じて、社会に馴染めずに苦しみ、悩むとき

ようやく、「自分の家族は健全だったのだろうか」 程度の疑問からはじまって

少しずつ、傷口を慎重にひらきながら

奥へとすすんでいく

途中で忘れていた衝撃的なことも思い出して

胸をえぐりかき乱されるような感覚を味わいながら

“時間のながれ”を助けに、少しずつ傷口のより奥の方へとすすんでいく

しばらくは落ち込んだり動揺したり体に痛みなどの異変が起きたりしながら

自分に起きた現実を、再認識していくのではないでしょうか。

子どもにとっては

小さな心が抱えた問題をずっと知らずに背負い続けて生きていくのですから

当然、親の想像の範疇(はんちゅう)を超えているものでしょう。

もし親の親が加害者の始まりだったとしても

子どもには何の罪もないのだから、言い訳にはならない。

絶対に起こしてはならない負の連鎖なのだと思います。

現実には、相当ひどい虐待でも

子ども本人の生まれ持った気質や知能が作用し

「何の傷も受けていない」

錯覚を起こしている場合だってあります。

心に深い傷を受けたまま大人になれば

確実にその人のまわりでいろんな問題が起こるのです。

今回は一般的にわかりやすいとされそうな例より

外からは見えにくい、わかりにくい例を挙げてみます。

 

アダルト・チルドレン

機能不全家族で育ち、自分のまわりの人たちに問題を引き起こし、

生きづらさを抱えている人たちのことを、アダルト・チルドレン(AC)といいます。

アダルト・チルドレンとは、「大人のくせに大人になりきれない子どもっぽい人たち」や「大人のような子ども」の意味ではありません。

このアダルト・チルドレン・オブ・アルコホリック(アルコール依存症の親を持ち、いまは大人になっている人たち)からきたものです。

引用:引用:アダルト・チルドレンと癒し 【著】西尾和美

 

とあります。 私は一概に「大人なのに子どもっぽい人」「大人のような子ども」が違うとは言いきれないように思います。

全く違う観点からそのような要素を感じる人はいるかもしれません。

ですが、「機能不全家族」からそのような人たちが生まれていることも確かです。(私のように。笑)

 

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秘密があまりにも多い家族

 

いろいろな秘密があって、家の中の誰にも言ってはいけないこと

家の外へは出してはいけないこと、親に聞いても答えてくれない家の中の秘密など

さまざまな秘密のある家族は機能不全家族です。

世間体を気にして、なにから何まで他の人に言うなと口止めされ、自由に意見や感情を出せない家族も機能不全な家族です。

引用:引用:アダルト・チルドレンと癒し 【著】西尾和美

 

私の場合は、町内会やご近所付き合いが必要な地域に住んでいたにもかかわらず

とても閉鎖的でした。”最低限関わる”という感じです。

同じ歳の幼なじみが2軒隣に住んでいました。

子ども同士とても仲良しで、毎日遊んでいました。

でもうちの祖母は”おしゃべりな幼なじみのおばあちゃん”が大嫌いで

「うちの中のことは絶対に言うな」ときつく言われていました。

いつも遊びに行って、おいしいものをくれたりする人なのに

うちのことを聞かれたら一切「知らない」と答えなければならない。

ものすごく嫌だった。

母は、家に友達を呼ぶことを一切許しませんでした。

理由は「じろじろ見る子だから嫌」とのこと。

わたしは幼なじみの家に毎日ほど遊びに行くのに

うちには一切誰も呼んではいけない

「どうしてお家ダメなの?」と聞かれるし、わたしもどうしてそこまで頑なにダメなのかわからなかった。

それと、うちの電話は出てはいけない。

叔母(父の妹)が何度も「お金を催促してくる」ので、祖母から一切電話に出ないようにと言われていました。

ずっと電話が鳴っていても、誰も出ないのです。

その後インターホンの電池が抜かれました。

叔母が直接家を尋ねてくるからです。

配達員の人は玄関を叩きます。

ガラスの引き戸だったので

「ガンガン」響いて、また祖母が”怒鳴り出すんじゃないか”と怯えていました。

 

隣に身体障害のある女の子が住んでいました。

その家のおばあちゃんがスナックをはじめて

夜遅くまでカラオケがガンガン響いてとてもうるさかったのですが

お詫びに子どもにおやつを配っていました。

私は子どもだから受け取るのだけど、祖母に「もう受け取るな」と怒られました。

板挟みです。

私と祖母が家の外の椅子に座っているときに

隣の女の子とお母さんが近寄ってきました。

「この子が学校へ行けるように、署名していただけませんか」

とお願いにきたのです。

祖母は、「私わからないから署名はしない」といって追い払いました。

子どもでもお母さんが悲しい顔をしていることがわかった。

思い出すたびに胸が痛みます。本当にごめんなさい。

 

私が生まれた時に、祖父と祖母が建てた家です。

そんなにも人付き合いを拒むなら

ポツンとした場所を選べばよかったのに。

地元の祭りも盛んな土地を、どうして選んだのかずっと疑問に思っているのです。

その後近所の工場が放火されて、いくつか近所の家も焼けました。

当時、うちは班長で、物資を持ち寄って預かっていました。

それが盗まれる事件が起こるのですが、閉鎖的だったうちは犯人と疑われるほどになっていたのです。

当然、うちは盗んでいません。後に別の犯人がわかりました。

母がとても悲しんでいたし、私もつらい事件でした。

 

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忙しそうな大人たち

 

うちの大人はみんな働いていました。

働き者なことはとても尊敬します。

でも父も母も仕事に翻弄されていたように思います。

父は平日も休みも四六時中機嫌が悪くて誰かの文句を言っていたし

母は全ての家事をこなしながら仕事して、趣味のテニスをして

いつも何かに追われていました。

逆上がりができた日も、「早くしなさい」と急かされて「よかったね」とも言ってもらえない

おやつを選ぶのも「早くしなさい」

「ねえおかあさん」と呼んでも振り向いてくれない「今忙しいから」といつも不機嫌そう

笑っているお母さんはとっても貴重です。

お母さんに褒めてもらいたくて

そろばんは低学年で高学年クラスに進級したし

習字は時間が来ても粘って練習して金賞を獲って、毛筆の部で八段になった。

絵のコンクールや、工作も頑張って賞をとりました。

なのにお母さんは全然褒めてくれない

「あんたならできると思った」くらいしか言ってもらえない

「よくがんばったね、よかったね、嬉しいよ」と言って欲しかったなあ

 

お母さんがちょっと機嫌の良い日

わたしは思いっきり「ひょうきんもの」になる

そうするとカメラを持ってきて

笑いながらいっぱい撮ってくれたから

お母さんの笑顔が好きだったんですね。

お母さんはテニスが趣味で毎週連れて行ってくれました。

テニスコートの端っこで、アリをたくさん踏んで殺してたよ

お母さんはテニスに夢中で気づかない

少しだけ寄り添って「生き物の命の尊さ」を教えて欲しかった。

 

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大人と子どもが入れ替わるとき

 

私と妹は、大人たちにとても気を遣っていたと思います。

しかも私はASD(自閉スペクトラム症)アスペルガーだったので

妹の気持ちを全く思いやることができなかった

5才歳がはなれていて

妹が生まれてから、親を取られたような気持ちになって

妹を大切にできていなかったような気がする

妹を想うと胸が張り裂けそうになります。

双極性障害を患いながらも、優しい旦那さんと一緒に暮らせて本当によかった。

 

保育園のお迎えの帰り道

お母さんは自転車をこぎながら少し泣いていました

「おばあちゃんに嫌われたから、お母さんもう出て行かないといけないかもしれない」

5歳くらいだったのにすごく鮮明に記憶しています。

いつものでこぼこ道で聞いた、お母さんの悲しい声

それからかなあ、「おかあさんは私が守らないと」

そう思ってきました。

どんなときも、私がお母さんの見方をすればいいんだ、

そう思ってきました。

祖母はキツい人だったから、母はとても苦労した。

私なら絶対に耐えられないし、なぜそこまでして耐え続けるのかもわからないです。

たびたび母は悲しそうだったし、「狭い狭い家族という世界に翻弄されていた」ように思います。

そしておそらく、父はキツい祖母に厳しく育てられた、アダルト・チルドレンだったのでしょう。

 

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きれいに拒否されること

拒否のされ方を学んでいますか。

人生に拒否はつきものです。

どんなにがんばっても拒否されるときはあるものです。

引用:引用:アダルト・チルドレンと癒し 【著】西尾和美

 

「きれいに拒否される」 という”ことば”をとても新鮮に感じました。

拒否されるのは怖いことだし、喉の奥がぎゅーっと詰まってきて声が出なくなったりする

それはきっと、「きれいに拒否される」ことを学んでいないから。

欲しかったものが手に入らなかったとき

愛して欲しい人に拒絶されたとき

行きたい学校に受け入れてもらえなかったとき

訪ねたい相手に都合が悪いと言われたとき

仲間はずれにされたとき

職につけなかったとき

昇進ができなかったとき

などなど…

どれも人生において「とてもつらい過去」として心に刻んでしまいそうです。

ですが著者は、

きれいに拒否されましょう。

しばらく涙を流したあとは

学ぶことがあったら学び

変化しなければならないことは、勇気を持って変えていきましょう。

そして、胸を張って、前に進みましょう

拒否のされ方を学ぶと、恐れが消えていきます。

と言っています。

 

私はこうして、かなりの年月を費やしてやっと

自分に起こっていた真実に向き合えました。

 

つらい時期は必ず乗り越えられます。

客観的に、振り返ることができたら、もう光はすぐそこです。

わたしはこのまま、子どもを授からずに生きるのかな….

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