スポンサーサイト

本当の自分と向き合う軌跡 -HSP x ASDグレーゾーン-【実感、そして前へ】

life
スポンサーリンク

こんにちは、にゃんまゆげです。

先日、はじめて障害者手帳を受け取りました。

等級は3級でした。

申請してから2ヶ月半くらいです。

申請しようと決意したのは

アパレルデザイナーとして企業を転々とするも”うつ”で不適応を起こし

自分で犬服のブランドを運営するも”うつ”で不適応を起こし

結婚生活もさまざまな症状が出て不適応を起こし

思いっきり違う職種(動物看護師)として奮闘して2年、”適応障害”になりました。

自分で考え尽くして、一生懸命に工夫して、頑張ってきたつもりです。

薬物治療をして3年になります。

もうどう頑張っていいのかわからなったのです。

生きていくためには、働くためには、障害者雇用を視野に入れることで

人生の道を閉ざさないようにしたかったのだと思います。

 

スポンサーリンク

HSPとの出会いで救われた心

 

仕事につまづき始めてから、書籍は自己啓発やビジネス書ばかり読むようになっていたのですが

そんなときに出会ったのが、武田友紀先生の”繊細さん”の本です。

HSPの診断テストは スコア107 でした。

それからHSP関連の書籍を読みあさり、心が救われたのを覚えています。

 

10時間睡眠の私が試した HSP自己診断テスト
あなたも”HSP”では? と目にして、ん?”HSP”て何? そこからHSPについて検索したり、HSPの本を読んだり、「あ、私はHSPだったんだ」と、なぜかちょっと”ほっ”としました。 この記事では、HSP関連書籍をたどりながら、 HSP自己診断テスト ができる記事になっています。

 

本を読みあさっっているうちに、「わたしの脳はいったいどうなっているのだろう」と思うようになりました。

診断書には「持続性気分障害」と書かれています。

アダルトチルドレン、パーソナリティ障害、難しい脳科学とダライラマの本や、心理学、哲学、もちろん”うつ”に関する本も

色々読んでみたのです。

そうしていると、「本当の自分(本心や感情)は何なのかわからない」と気づきました。

自分では、人付き合いも、交友関係もうまくできてるし、場の空気も読める方で、思慮深いと思っていました。

でも本当は違ったのです。

元夫に「自己中で思いやりも深い愛情もない」と言われたのがきっかけで、映画みたいに思考がグルグル過去に遡っていきます。

さすがにショックだったので

今思い出しても少し頭がクラクラします。笑

 

スポンサーリンク

過去の言及、本当の自分とは

 

5歳くらいからの記憶があります。

大人が喜ぶことをわざとして、大人の反応を見て心の中で満足していました。

保育園ではともだちの好きな子にちょっかい出してみたり

遊びで自分が鬼になりそうになったら「ルール変更!」と叫んで喧嘩したり

お母さんはいつも祖母のストレスで機嫌が悪くて、逆上がりを見てもらえなかったのが悲しかったです。

小学校では好きな子にラブレターを渡したら

クラス中から除け者にされていじめられたのですが、当時のわたしは気づいていませんでした。笑

転入生の男の子と毎朝大声で喧嘩したり、追いかけ合いしたり

成績は良かったし先生にも怒られてない程度で、放課後は女友達といつも遊んだし、問題ないと思っていました。

小3の時に、友達がうちに来る約束をしていたのですが、来ませんでした。尋常じゃないほど悲しくて泣きました。

小4の時に、新しい友達ができて、初めて遊んだ日に財布から、ずっと大切に貯めていたお金を盗まれました。

親とその子はうちに謝りに来ましたが、許しませんでした。

それからだと思います。友達に何かされたら、小さなことでも許せなくなりました。

けろけろけろっぴのサンダルを片方なくされたこともずっと許せなくてつらかったです。

小5、6で人生を変える恩師に出会って、少し人の心を学びました。

学級委員長もやって、終わりの会ではいつも”喧嘩したもの同士をなだめる役”でした。

でも1回だけ、ドッジボールで顔面を当てられて、ブチ切れてヤンチャな男子を泣くまで追い回して蹴ってしまいました。

中学では厳しい部活にのめり込む一方で

仲良しの友人を突然許せなくていじめのようなこともやりました。

家もいろんなことで家族や親族がゴタついていたし、嫌で仕方がなかったです。毎日イライラしていました。

とにかく自分の部屋がない、ひとりになれないことが嫌すぎて家を恨む気持ちでいました。

ヤンキー女に呼び出されて、友達と思っていた子も含めて10人くらいに囲まれたこともありました。

悔しくて、一切動じないふりをして1人で行きました。

中学最後の”送る会”では体育館の大舞台に立って、1人でギター弾き語りをしました。(STAND BY ME :ビートルズ)

本当は5人くらいでバンドやるはずだったのです。でもみんな受験とかでやめていって。

わたしはどうしようもなく頑固だったのだと思います。笑

歌い終わったら、わたしを呼び出したヤンキーが泣きながら立ち上がって”良かったよ”って言いにきてくれました。

馬鹿にされても良かった。でも「あーやってよかったな」と思いました。

高校では、とにかくヤンキーどもと距離をおきたいのもあったし

公立のデザイン系の高校へ進学しました。

そこは面白い個性的な子ばっかりで、やっとわたしの居場所ができた!と思いました。

3年間、みんなとワイワイゲラゲラやって、歌やダンスもやって、本当に楽しかったです。

一生の友達もできました。

そのあたりから、相手の気持ちを考えたり、一緒に楽しんだり、どうすればできるかを学んだのかもしれません。

でもこのころから少し”うつ”の症状があって、家が嫌だったことはずっと変わりなく

それでも家を出れないことがストレスで、見かねた父が”引っ越す”と嘘をついたことが許せなかったです。

高校では「やりたくないことはやらない」という精神になっており、勉強はほとんどしませんでした。

デザイン系の科目はとても楽しかったですが、遊び感覚でした。

ファッション系に進むと決めていて、服屋さんに飛び込みで面接を志願して、時給650円で雇ってもらいました。

まったく接客ができなくて、”服は好きだけど、人に話しかけられない”ということに気づきました。

それでも店長は、「もう、笑ってたらそれでいいよ。笑ってる顔めっちゃ可愛いんやから!あとポップがうまいからなるべく書いて」と呆れて受け入れてくれたことに、今でも感謝しています。(店長は地元の祭男です)

ファッションを志した頃は、ビジネス学科に進む予定でしたが、

接客は無理だ!と思って、思い切ってデザイナーをめざそうと決めました。

裕福ではなかったので、奨学金を借りて専門学校へ入学しました。

そしてもうどうにも耐えられないので、19才のときに実家を出ます。

母は大反対でずっと怒っていましたが、父はなぜかすごく協力してくれました。

専門学校2年の最後のコンテストで、なんと最優秀賞を受賞しました。

そのあと、学校に対して不満があったので「もうここには用はない」とあっさり退学し

フランス人講師ばかりの学校へ入り直しました。

そこはもう個性がみなぎったカオスです。

みんなすごいのです。誰ひとりできない子はいないのです。(ついていけない子は留年か退学します。)

やめていく子は多かったし、授業も初めて打ちのめされたという感覚でした。

授業中はもちろん、放課後も、休日も、少しでも作業しない時間があるとみんなから遅れるのです。

その学校は卒業後に即戦力になる人材育成をしていたので、とても厳しかったのです。

でもその厳しさが、頑固なわたしには心地よくもありました。

すごい子の中で、自己肯定感が下がってつらさもありました。

当時、今では考えられないくらい自己肯定感が高く、なんでもできる!と思っていたし、まだ挫折を知りませんでした。

睡眠時間がなくて、泣きながらミシンを踏んで、最後の卒業コレクションで特別賞を受賞しました。

父は泣いていました。(お父さん、ありがとう。大好きだから憎かったと気づく)

卒業後の話は、aboutme に書いた通りです。

過去に今とはまるで正反対のわたしが居ました。

about me
にゃんまゆげのブログへようこそ! このブログへきてくださってありがとうございます。 管理人のにゃんまゆげです。 わたしの自己紹介に少しお付き合いください。 1983年生まれの37歳 独身(結婚歴1回) 10代から”...

 

スポンサーリンク

発達障害なのではないか、と思い始める

過去を言及してみて、辿り着いたのは”発達障害”なのではないか、ということでした。

発達障害について調べてみて、本もいくつか読んでみて、半分くらいあてはまると思っています。

空気を読めると思っていたけれど、実はその逆でまったく読めていなかった。

相手の感情に敏感でわかった気になっていたけれど、実はまったくわかっていなくて

嘘も見抜けないし、騙されやすいし、言葉の意味をそのまま受け取ってしまって冗談にマジギレしてしまう。言葉が含んだ裏の意味がわからない。

少々書きづらいですが、他人に興味がない、他人の目を全く気にしない。

この記事も他人の目を気にしないから書けたのかもしれません。

こうしたことなどいろいろ、ASD(自閉スペクトラム / アスペルガー症候群) に半分くらい当てはまります。

実際に大人の発達障害を専門に診れる医師はまだ少なく、診断も非常にむづかしいので

社会への不適合を起こすことで自己肯定感が下がり、落ち込むので”うつ”と誤診されやすいみたいです。

わたしは自己判断はあまり良くないと知っていますが、

実際に日常も仕事も、社会に適応できなくて困っています。

なので、ASDグレーゾーン、旧称のアスペルガーグレーゾーンの方が近いので

そう思うことにしました。

その方が、自分の特徴を理解しやすいし、今後の人生にも必要になるかもしれないと思うからです。

空気が読めない、他人の気持ちを汲めないので、HSPではないかも…と少し不安ですが。

今のところ HSP✖︎アスペスガーグレーゾーン とします。

HSPと発達障害グレーゾーン【苦しいからの脱却へ】
病気と診断されるほどはっきりとはしていないが、いろんな症状が混ざり、それが逆に苦しい、という「グレーゾーン」にいる人たちが多くなっています。日常生活の中でどのように「困っている」のかを見える化し、苦手なことを避け、長所を伸ばしていく。生きづらさを抱える人のヒントになれば嬉しいです。

 

あ…もう一つ気になること。

わたしは好きな音楽がかかると、踊ってしまいます。(出先ではなんとか抑えています!)

いつも頭の中が忙しくて、閃いたら突拍子もない行動をします。

どうしても欲しいものはローンでも買ってしまいます。(お金の管理ができない)

ADHD(注意欠如・多動症)も少し含んでいるかもしれません。

この本がとても参考になりました。

スポンサーリンク

自分に向き合えた実感、そして前へ

 

そうして、毎日すこしづつ自分と向き合ってきました。

ATOKpad(メモのアプリ)に浮かんでくる思考をどんどん書き連ねていきました。

たまに途中でやるせなくてお酒をのみながら書いたこともあります。笑

そうすることで(書くことで)、ただ思考し続けるよりも、ずっと深く自分と向き合うことができたのです。

わたしが辿り着いたのは、「HSP x アスペルガーグレーゾーン であり、社会に適応するのが難しい。しかもものすごく疲れやすく、超過眠」ということ。

じっくり振り返ってみて「やっぱり自分が好きな、納得すること以外できない。」

自分基準で無意味な作業はとてつもなくストレスなのです。

というわけで、限界まで会社勤めを避けようと思います。

自力で生きていくのは相当大変ですが、がんばってみます。

それと「子供のころからずっと好きなもの」がわかったので、

お仕事にできるよう準備していこうと思います。

 

長文になってしまってすみません。

読んでくださってありがとうございます。

この記事が、似たようなことで悩んでいる人の役に立てたら嬉しいと思って書きました。

お役に立てたでしょうか…

コメント

タイトルとURLをコピーしました