発達障害だったよ、母に告げたお話【溶けてきた心に起こったこと】

ASD
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こんにちは、にゃんまゆげです。

おうちに食べるものがたくさんあるって

とても心がされます

食品の買い物も、料理も

すごく苦手で楽しくないです

なので買い物は10日に一回くらいです。

わたしのチャリは TOTEBOX(トートボックス)

BOXを前に付けて、スタンドは幅広に変えています。

 イメージ画像クリックできます

毎日と出勤してた時期があって

大きくてしっかりしたチャリを探しました。(犬の安全第一のためです)

大きな買い物袋が2つ余裕で入るので、とても助かっています。

 

食べることは好きで、食べ物さえあればたくさん食べます。

無いときは、激減してヨロヨロです。

弱ってきたら傷が治りにくいし、鼻血もでます。

食べること栄養って大事なことなんですね。

そして、うちの子たちの”食べている姿”は究極の癒しです。

 

昨日のお話です

夕方、ちょうどぼんやりしてた頃に

母にLINEしてみました。

それから電話することになって。

わたしの家族はみんなちょっとずつ変です。

家族間の関係も、すこしイビツ

みんなとても不器用な人生です。

 

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久しぶりに聞いた母の声

 

母は、昔から気分の浮き沈みがとても激しい人です。

今日の声は、どっちだろう

電話するときは、ちょっとした緊張感です。

「あ、もしもし^^」

よかった、あったかい方のお母さんだ

そうやしてちょっとずつ母の心の調子を観察してから

話す内容やタイミングを決めています。

今日は元気そうだから、話そうかな。

お正月に会いたかったけれど

コロナだからやめておくことにしました。

先日わかった ASD(自閉スペクトラム症) のこと

話すか迷ったけど、「直接なら話そうかな」と思ってたところですが

「今なら話せそう」と直感できたので、この電話で話しました。

 

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「それって、親のせいなのかな」

 

「それって親のせいなのかな…」と 弱々しい母の声がしました

とても不安そうに、そっと丁寧に返されました。

「いやちがう。先天的なものだよ」 感発入れずに答えました。

本当は、まだ医学的にも

先天性と養育環境の関連性はわかっていません。

母に不安な気持ちになって欲しくなかったのです。

強がりで、頑固で、プライドが高いくせに

どこか弱々しくて、子供みたいに泣いたりする。

子供の頃から、「私がお母さんを守らないと」

ずっと思ってきました。

母に伝わるように、ゆっくり会話しながら、聞いて欲しかったことを伝えました。

 

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母のシンパシー

 

母:「ちょうど、子供の頃のこととか、自分のこととか、思い出して考えてたところ」

母もなんとなく感じ取っていたのかもしれない

どうして娘が何度も精神疾患を繰り返すのかを。

母:「母さん、若い頃ずっと稼いでいたくて、あんたたちのことあんまり見てやれてなかった気がする」(母は趣味も豊富です)

母:「あんたたちは、素直に自分たちで育ってくれたと感じてる」

私はそれを聞いて、(やっと少しは気づいてくれたのかな。笑)と子供の頃みたいに心の中で思いました。

私:「2人ともすごく忙しそうだったから、私も妹も気を遣ってたよ。笑」

私と妹の間では、かなり前から思ってたことだし、妹が母に直接言ったこともある。

そのときは母は突然怒り出して妹が泣いてさいあくだったなあ。あの頃。

でも母は、そのことさえきっと忘れてる。

私:「子供の頃、大人が喜ぶことをわざとしてたんだよ」

すると母は「あー、なんかそんが気がしたかなあ…」と言ってました。

それからいくつか、母に「子供の頃、〜〜って言ったこと覚えてる?」

と聞いても、やっぱり覚えていませんでした。笑

まだ保育園に行く前に、「癇癪」(かんしゃく)を何度も起こしていて

祖母に“鍼”治療へ連れて行かれた時のことを覚えてる、というと

すごく驚いていたし、「癇癪は普通の子供と同じ程度と思ってた」と言ってました。

私:「お父さんとお母さんの前では、気を遣って見せてなかったんだと思うよ」

と、正直な気持ちを伝えることができました。

 

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電話越しに感じた涙と笑顔

 

母はちょっと泣いてたかも知れません

きっと、自分で思い返しても「あまりかまってやれなかったかもしれない」と不安になっていて

私と話して、”それ以上に娘が感じ取っていたことや、思い出せないこと”もあったことで

悲しくさせてしまったかもしれない。

でも、そのあと温かい声で話してくれたし、笑ってくれたし

これでよかったんだ、と思っています。

 

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うちに帰ってくる?

 

「それでこれからどうするの? 何かいい方法ないかなあ」

と、母はずっと独り言みたいに言っていて

一生懸命一緒に考えてくれました。

私の金銭感覚にも呆れた様子でしたが

すこし援助してくれることになりました。(たすかったーーー涙)

母:「あんたはお父さんとお母さんと一緒に暮らすのは嫌とかあるの?」

私:「いや、そんなことはないけど(ちょっと嘘ついた)、私荷物が多すぎるから無理じゃないかなあ〜?(本当のこと)」

母:「なんとかなるよ!」

私:「犬はいいだろうけど、猫もいるよ? お母さんの陶芸壊すかもだし、壁に爪痕つくよ」

母:「2匹ならなんとかなるよ。壁なんてどうせうち古いしいいよ」

母:「うちに帰ってくる?」

私:「え〜〜〜〜!? 本当に言ってる?」

こんな感じになりました。

 

正直にいうと、すごく嬉しかったんです。

実家に帰るなんてまったく考えてなかったし、親も望んでないと思ってたから。

 

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アダルトチルドレン、毒親、パーソナリティ障害、翻弄されていた過去

 

結婚してから”うつ状態”に陥ったときは地獄のようだった

思い描いていた人生とはかけ離れていく恐怖

みんな私が幸せな結婚をしたと思っているし、誰にも相談できない

そんなときに悪循環が起こりました

なんでこんなに苦しいの? 一体何が原因? 私に何が起こってるの?

当時は都会に住んでいたので、大型のジュンク堂書店がありました。

わたしはその場所が大好きで

ゾンビ状態でもそこにはなんとか行けました。

アダルトチルドレン・インナーチャイルド系の本は分厚いです。

でもこれなんじゃ?と思って何冊も読み漁ったし

わたしって自意識過剰? サイコパス? パーソナリティ障害?

もしかしてうちって”毒親”?

 

高校や専門学校時代には、仲良くなった友人・恋人に

親の話をしていました。

みんな口を揃えて「親を悪く云うなんてさいあく」と怪訝な顔になって

恋人には人格を非難されて説教されました。

わたしは良くも悪くも、包み隠すのが苦手です。

素直に話したのに、みんなの態度がちんぷんかんぷんです。

少なくとも、父と母に対して”強いわだかまり”を感じていました。

 

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父のこと

 

父に関しては、ほんの最近の思考で

私と同じ ASD で アスペルガー だと確信したので

(子供の私に、本当は男の子がよかった、と真剣に言うような人です)

かわいそうな私の保育園時代に起きた事件の数々もなんとか”珍事件”へと変化しました。

人付き合いがとても辛かったはずなのに (毎日母に会社の人の愚痴を言っていた)

家族のために頑張って仕事に行ってくれていたんだなと思います。

父はものすごくたくさん転職を繰り返しています。

山小屋のスタッフ、車の整備士、ガードレール設置の会社、JAFの事故処理班、バスの運転手、大型トラックの運転手、危険物トラックの運転手、金属工場で精密機器の部品製作、など

父の妹(叔母)を大学に行かせるために

高校を中退して祖父と仕事していたそうです。

それなのに転職のたびに、猛勉強して新しい資格をとって。

もっと大学へ行って勉強したかったなあと言っていたこともあります

そこからきたのでしょうか、

私は父に、「後悔だけはしないようにしなさい」と言われて育ちました。

今は、父自身の辛い時期を乗り越えて

ようやく平穏なストレスフリーの生活が訪れたようです。(母に聞きました)

67才ですが、お腹だけポーンと出て、足腰も弱くなって転んだり、苦労した分、すごく早くおじいちゃんになったように見えます

 

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溶けはじめた”わだかまり”

 

子供の頃って、「大切な人が死ぬ」ことを想像しただけで泣いてしまうことはありませんでしたか?

知らない人の人生を感じ取れなかったのに

自分の祖父や祖母のことを考えただけで目が潤みました。

その時に同時に襲ってくる、”きゅーーーんとした胸の締め付け”

これって、「心から人を想う気持ち」なのでしょうか?

昨日の、母との電話のこと、父のことを思い出して

こうして書いていると胸が締め付けられるような感覚になりました。

とても久しぶりに感じたような気がしています。

 

長年滲みついていた、わたしの心の”わだかまり”は少し溶けてきて

柔らかくなって、あったかくなって、感情に素直に”ぎゅーーん”となれたような

ちょっとした変化が起こっています。

 

今朝目覚めたらすぐ、母の顔を思いだして。

一緒に暮らすのもありかな? とか考えてみて

激しく部屋中を朝ダッシュするししまるを眺めて、「うーん笑 やっぱむりかも笑」

と1人でにやけながら新しい可能性をおもって愉しんでいました。

「なんだ、わたしはじゅうぶん幸せじゃないか」

そう思えたのでした。

 

とはいえ、一緒に暮らすには

もっと広い部屋が欲しいし、庭がないし、ご近所さんの家が近すぎる。

自分の部屋になるところの窓は小さいし、お風呂が極寒。

それに地元が大嫌い!

いっそのこと、一緒に新しい場所で暮らしたい

親が出会った、長野県の日本アルプスが見えるところで

一緒に新しいおうちで暮らしたいなあ

でも、父は絶対に反対する。

認知症の祖父が老人施設にいるし、祖母のお墓を管理しないといけない。

父は親に従順です。若い頃自衛隊に入りたかったくらい、真面目な人です。

 

わたしはいつまでも自由にふら〜としていたい。

好きな場所を選んで、そこで暮らしたい。

体の中はもう子供のわたしがほぼ占拠している

どうしてそこまで、先祖に縛られるの? (亡くなった祖母に怒られそうっ!)

ずっと疑問です。アスペルガーだからそう思うのかなあ

 

母の思いもよらない言葉で、わがままな思考になってしまった

ぶっとんだ脳のネジ、どこいったかな…

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